回顧録(序説)

回顧録(序説)現在の会社に入社したのが1975年、当時の従業員は200人に満たない小さな会社でした。
当時の正確な社員数は知りませんがタイムカードに書かれた社員番号が18X番、その後コンピュータでの給与計算が始まるときに、社員番号の再付番があり、現在と同じ20X番、何人かが私の前にいた事になりますが200人を少し超える社員数に変わりはありません。

そんな会社も現在では2,000人を超える企業になっています。

それまでに色々な事がありました。

入社した時期は、第1次オイルショックと第2次オイルショックの狭間で経済も一息ついていたころと記憶しています。

当時は計算センターを次々と開設している時期で活気に満ちた職場でした。この時代のコンピュータの入力媒体はパンチカードや紙テープ全盛で、汎用コンピュータも記録媒体は磁気テープ(オープンリール)オンリーの時代です。
この入力媒体はカセットテープ、フロッピーディスクへ、記憶媒体が磁気テープから磁気ディクへと進化していくことになります。

顧客との関係で入社当時驚いたのは、顧客である税理士事務所の所長が入社の歓迎会をしてくれ、まるで自分の事務所の職員のように接してくれたことです。当時の顧客には、計算センターは自分の会社だという自負があったようです。

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当時の汎用コンピュータFACM 230-20磁気テープは7台が並んでいました。

女性の左側の装置が磁気ドラム、右側には10MBの磁気ディスク装置が見えます

少し当時を回顧してみました。

入社した年には、創業社長が来訪され大阪難波の鳥よしで夜勤者(当時は24時間3交代勤務)を除く社員が参加しての懇親会があり、生意気にもお酌をしながらお話をさせていただいた記憶があります。その時に話した内容などもまた後日書いてみたいと思います。

その後は社員も増え、いつしか雲の上の存在になってしまいましたが、講演会や社員大会などでお会いしたときに名前を覚えていただいて感激したものです。

当時は営業職は無く唯一計算部と呼ばれる汎用コンピュータのオペレーション部門が主でした。
もっとも充実した時期を過ごすことが出来たのは、全国の計算部の責任者で構成する業務改善委員会活動が活発だった時代です。

関西圏でも次々と計算センターが開設され、京都、神戸、金沢と支援業務に携わり、何年後かには金沢や神戸で勤務することにもなります。

当時は、4年に1度全社員が集まる社員研修大会なるものがありました。(宿泊でのイベントで、研修と親睦が行われていました。)

  • 鬼怒川温泉、
  • 草津温泉、
  • 岐阜長良川
  • ふじ丸、
  • ハワイジャンボリー

これらの運営にスタッフとして関わり思い出深いです。このイベントも、とある上司の時代に中止されそれ以後開催されることが無くなってしまいました。

他にも

  • 何度も実施されたホストコンピュータの入れ替え作業
  • 日本語化
  • CI(Corporate Identity)導入、
  • 東証2部上場、
  • 消費税導入、
  • 計算センターの統合化
  • etc

しかしながら、そんな充実した時期も1997年で終わりを告げ波乱の時期を迎えます。
この間、多くの人達と関わり良しきに悪しきも影響を受けてきました。

いずれ、個々の記憶を詳細に書いてみたいと思います。

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